調査委員会は誰のためにあるのか

2024-06-08

小学館 日本テレビ 不祥事

 漫画『セクシー田中さん』のドラマ化に関する問題で当事者である日本テレビと小学館それぞれより調査報告書が公表されました。

 一つの事案について複数の調査報告書が作成されることは珍しいため、見比べていきたいと思います。

 事案の経緯については報告書に詳細に記載されていますので、そちらをご覧ください。

日本テレビ調査報告書

小学館調査報告書

 まず、疑問に思うのはなぜ日本テレビと小学館は協働して調査を行わなかったのかということです。

 どちらか一方が、自社にとって不利な調査結果となることを恐れたのでしょうか。


調査委員会構成

(日本テレビ)取締役1名・顧問弁護士1名・外部弁護士2名

(小学館)取締役2名・外部弁護士3名

 どちらも社内取締役が主導する体制となっていますので、独立性のある委員会ではないことは明らかです。

 自社にとって不利な内容になることを防ぐための体制に見えます。


調査目的

(日本テレビ)より一層安心してドラマ制作に臨める体制を構築するため

(小学館)小学館の対応の問題点を抽出し、再発防止のための改善案を提言すること

 日本テレビは調査目的を定義した段階で、自社に責任はないと言っているように読めるのは気のせいでしょうか。


 ここまで報告書を読んだだけでも、責任回避のための報告書になりそうだという気配が濃厚です。



大きく食い違う言い分

 ヒアリングの主な対象は交渉の窓口となった両社の社員計4名ですから、どちらの報告書でも認定した事象に大きな差異はないように思われます。

 しかし、その事象における小学館・日本テレビ双方の言い分はかなり乖離している箇所が多々あります。

 あまりにも多いので、どちらか一方が保身のために嘘をついていると勘繰りたくなります。

 原作者・小学館から制作にあたっての原作改変にかかる条件や要望を提示した際に、日本テレビ側は受け入れたはずなのに、後日無視したかのような対応を取り続けるため、その不誠実な姿勢に原作者は相当に不信感を覚えていたのに対し、日本テレビ側はそのような条件等が提示されたことを記憶していなかった、単なる希望程度と軽く受け止めていたということが繰り返されています。


 日本テレビ報告書はそれを「認識の齟齬」ということで片づけているのですが、不誠実な姿勢はここにも及んでいるようです。

 日本テレビ側は、原作者がブログ投稿するまで必ず漫画原作に忠実に制作することが条件となっている認識がなかったとしています。

 言葉として明示していなかったのかもしれませんが、原作の内容に戻す修正を原作者は何度も繰り返し要請しているのですからこだわりがあることを理解していないはずがありません。

 また制作サイドは原作をリスペクトしていたという主旨のコメントもありましたが、原作に忠実に制作することとは全く意味が違うことは明らかですので、誤魔化しにしか聞こえません。

 そもそも著作権法上の同一性保持権があるのですから、原作者が明示しなくとも原作に忠実に制作するのが基本であり、そこから乖離する改変を行うのであれば著作権者の許諾は不可欠であり、著作権ビジネスに携わる関係者としては認識がなかったで済む話ではありません。

 にもかかわらず日本テレビ報告書は「認識の齟齬」という表現を使うことで、日本テレビ側に大きな責任は無く、逆に原作者・小学館側にも一定の責任があるかのように記載されています。


 両者の言い分についてはどちらが正しいのかは外部の人間には判断がつきませんが、筆者としては日本テレビ側の言い分は額面通りに受け止めることはできないと考えています。

 日本テレビ報告書の整理の仕方に不誠実さを感じるということ勿論あるのですが、そもそも日本テレビの言い分は信用できるのかという疑問を感じさせる箇所があります。

 撮影シーンを巡ってリテイクが発生した事態があったのですが、原作者の意向に沿わない撮影内容であったため問い合わせたところ、日本テレビ側から撮影内容の変更を避けたいがために撮影済みであると虚偽の回答をし、その後に嘘が発覚しリテイクに至ったものです(嘘をついたことは日本テレビ報告書でも認定されています)。

 面倒な事態から逃れたいがために嘘をつく人間は、別の機会でもやはり嘘をつきます。

 今回の調査でも嘘をついている可能性が残るため、日本テレビ側の言い分は割り引いて読むべきでしょう。


 今回の日本テレビ側の不誠実な対応はレアケースであり、映像制作者の多くは原作者の顔色を窺いながら映像化を進めているという話もあります。

 筆者は制作現場の事には詳しくないのでレアな事例なのかは判断がつきませんが、原作者の顔色を窺っているということは根底には隙あらば自由に原作改変をする気持ちがあるということではないでしょうか。



調査委員会の提言内容には疑問

 日本テレビ報告書における提言は、コミュニケーションを良くすることと契約を早期に締結することが主な内容となっています。

 制作サイドが原作改変を安易に考えていることが本事案の発端であるにもかかわらず、そこに対する視点は提言に含まれていません。

 小学館報告書では、そのような制作サイドの姿勢が変わることはないと見ているのか、修正要望が受け入れられない事態が今後も発生する前提でテレビ局対応の体制を見直すことが提言されています。


 日本テレビ報告書において評価できる箇所があるとすれば、『原作をもとに、ドラマとしてより面白いものを作りたいという考え方自体は、ドラマ制作者として確かに間違いではないかも知れない。しかし、仮にそのような思いが、原作者・出版社の方でも当然のこととして、誰もが例外なく受け入れている、あるいは受け入れるべきであるという認識が制作者にあるとすれば、そのことについては、今一度見つめ直す必要がある』と総括の中で記載されている箇所です。

 原作や原作者のためにも、テレビ局の経営陣はカルチャー見直しの契機とすべきといった提言をすべきだったのではないでしょうか。


 小学館報告書にも疑問点があります。

 小学館は原作者の代理人として日本テレビと交渉していたわけですが、そもそも代理人として適格なのかということが十分に検証されていないように思います。

 担当編集者と映像化担当部署社員が交渉窓口となっており、作品の内容に関わることは主に担当編集者が交渉役を担っていました。

 担当編集者は原作者とともに作品づくりをしているのですから原作者の意向を大事にすることは基本的に期待できますが、映像制作サイドとの交渉事は本来職務外のはずですから、不慣れな領域での交渉を通常業務の合間に行うことを強いられます。

 これでは原作者の意向は尊重されても権益がしっかり守られている体制とは言い難いです。

 一方、映像化担当が交渉役となった場合、担当編集者よりも映像制作サイドとの交渉に慣れていると考えられる一方で、映像化により会社収益を増やすことが業務目的となるため、原作者の意向を大事にするインセンティブがありません。

 この場合、映像制作に関して何かと注文をつける原作者は邪魔な存在でしかありません。

 映像化と編集の両方に知見のある専門担当を原作者の代理人とし、原作者の権益を最大限守る体制を構築すべきですが、そのような観点での提言は見られません。

 小学館があわせて公表した映像化指針にも原作者の権益をいかに守っていくかという観点は見いだせず、あるのは原作者の意向を文書にして証跡とすることが明記されているだけで、これは小学館を守ることに終始した内容です。



 個社の問題を特定し、是正していくことは当然必要なことですが、原作者が亡くなるという痛ましい事態にまで発展した今回の事案のようなことを繰り返さないために、出版社・テレビ局ともに原作者の権益をいかに守るかという視点で検証していくのがあるべき姿ではないでしょうか。

 小学館・日本テレビ共にそのような視点も踏まえて業務の在り方を経営陣が見直すことを期待したいですが、この2社だけではなく同業他社も見直しに動くことが望まれます。


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